トイレに行く暇もない、病棟看護師のリアルな1日【日勤/午後編】
「午前があれなら、午後はどうなるの?」
午前中編を読んだ方は、そう思ったかもしれません。先に言ってしまうと、午後の忙しさは午前ほどではありませんでした。
ただ、1年生の私をいちばん削っていたのは、業務のほうではなかったのです。
👉 まだの方はこちらから:トイレに行く暇もない、病棟看護師のリアルな1日【日勤/午前中編】
午後は午前ほど「戦場」ではありませんでした
答えを先に書きます。午後の業務量は、午前より落ち着いていました。
理由ははっきりしています。午前は時間刻みで、やることがびっしり決まっていました。10時までにバイタルを回りきり、そのあとは病棟の看護師全員で清潔ケア。全員が同じ方向を向いて動く時間帯です。
午後は違います。やるべきことはあるけれど、午後のうちに終わればいい。午前が団体戦なら、午後は個人戦でした。
では、なぜ私は午後のほうを思い出したくないのか。理由は業務の外にあります。
昼休憩から戻って、まず何をしていたか
休憩から病棟に戻ると、受け持ちの患者さんが昼食を終えているか確認して回ります。ここからしばらくは、食事まわりの片づけが続きます。
- 食事介助が必要な患者さんの介助
- 経管栄養の片づけ
- 受け持ち全員の口腔ケア
これが終わると、翌日の点滴の仕分けです。時間の決まった点滴があれば、その開始も。午前にできなかった処置が残っていれば、ここで拾います。
夕方に向けては、こんなことが並びました。
- 記録
- ルート交換
- 救急カートのチェック
- 面会に来たご家族への対応
- 16時半からの申し送りの準備
見落とされがちなのが薬局対応です。薬局は17時に閉まります。足りない薬や、まだ上がってきていない薬があれば、それまでに医師へ確認して処方してもらう。だから薬局まわりの用事は、自然と午後に集中しました。
午前といちばん違ったのは、ご家族がいることでした
午前中、病棟にご家族はいません。目の前の業務だけに集中できます。
午後は面会時間が始まります。ここで、午前にはなかった気疲れが増えました。
たとえば下の世話のとき。ご家族であっても、患者さんは見られたくないはずです。少し席を外してもらえますかと声をかけ、外に出ていただく。この一往復だけで、数分が消えます。
点滴の針を交換するときもそうでした。ご家族は興味を持って、じっと手元を見ています。悪気はまったくありません。ただ、こちらはミスが許されない場面。緊張の材料は、ひとつでも減らしたいのです。
いちばん忘れられないのは、おしぼりください事件です。
いつもどおり走り回っている最中に、ご家族から「あのー、おしぼりもらえます?」と声をかけられました。
ここは喫茶店じゃねえ(激怒)。心の中でそう叫んだのを覚えています(笑)。ご家族が患者さんの顔を拭いてあげたいから、という理由だったようですが。
今でこそ笑い話ですが、当時は本気で膝から崩れそうでした。
16時半の申し送りが、1日でいちばん怖い時間でした
16時半から、準夜勤の看護師への申し送りが始まります。これが本当に苦手でした。
求められるのは3つです。行ったことの事実。自分なりのアセスメント。そして、何を根拠にそれをやったのか。
今日は何をしました、患者さんはこうでした。それだけでは通りません。
疾患を理解して、その症状に何が必要かを判断する。だからこのケアをやった、あるいはやらなかった。そこまでを短くまとめて言葉にします。
これを受け持ち8人分、即興で。
うまく言えないと、突っ込まれます。「どういう根拠でそれをやったの?」。答えられずに黙った時間の長かったこと。伝え漏れは患者さんの命に関わるので、聞かれるのは当然です。頭ではわかっていました。
ただ、まとめる時間がどこにもありません。業務が立て込んだまま、記録も追いつかないまま、16時半は容赦なくやってきます。申し送りをまとめる15分がほしい。毎日そう思っていました。結局、最後まで上手にできるようにはなれませんでした。
振り返りノートに「この子は何一つ自分でできません」と書かれた日
1年生には、もうひとつ日課がありました。振り返りです。
業務が終わると、その日の振り返りをA4用紙1枚ほど書きます。それを先輩看護師と読み合わせて話し合う。最後に先輩がコメントを書き、翌日担当する先輩へ私の「状態」を引き継ぐ。そういう仕組みでした。
つまり私は、自分についてのコメントを毎日読むことになります。しかもこれが、9ヶ月目の12月まで続きました。
4ヶ月目のことです。ノートに赤字で、大きくこう書かれていました。
この子は何一つ自分でできません。1から10まですべて指示を出さないと何もできません。
3ヶ月かかって、物品の準備や記録がようやく形になってきた時期でした。その全部を、二行で否定されたわけです。私が読むとわかっていて、あの大きさで書いたのだと思います。書いたのは、私と同じ社会人上がりで、子どもがいる先輩でした。
正直に書けば、嫌がらせとしか思えないこともありました。「ばばあ」と呼ばれる。1年生は走れと言われる。あからさまに睨みつけられる。私とペアになると、終始わざと能面のような顔をする人もいました。
申し送りで突っ込まれるのは、業務に必要なことです。そこは仕方ないと今でも思えます。でもこちらは別でした。受け入れがたかったと、はっきり書いておきます。
ただ、あの病棟の全員がそうだったわけではありません。午前中編に書いた4年目の男性看護師のように、黙って助けてくれる人もいました。同じ病棟に、どちらもいたのです。
残業は19時前まで。それでも残業代は申請できました
定時は17時です。でも17時に終わった日は、ほとんどありません。
17時半ごろ、ようやく座って記録を始める。そこから片づけて、病院を出るのは19時前。定時までに記録がどれだけ残っているか、やるべき処置がどれだけ終わっているか。その日の帰宅時間は、そこで決まりました。
入職したとき、残業を申請できること自体を教えてもらえませんでした。
残業しているのに残業代が出ない。ホワイトな会社しか知らない社会人上がりの私には、単純におかしいと思えました。3ヶ月目、師長と話せる機会があったので、自分から聞いてみたのです。すると申請の仕方をあっさり教えてくれました。拍子抜けするほど簡単な話でした。
そのあと、先輩に言われたことがあります。1年生は勉強の時間なんだから、自分は一切申請させてもらえなかったけどね。嫌味だとすぐわかりました。
でも残業代は権利です。無視して申請し続けていたら、そのうち何も言われなくなりました。それどころか、先輩たちも気兼ねなく申請するようになっていった気がします。
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19時に帰る私に、小1の娘は音読だけを取っておいてくれました
定時で上がれた日も、上がれなかった日も、寄り道はしませんでした。まっすぐ家に帰るだけです。何時に帰れるかは、行ってみないとわからない。だから誰とも約束ができませんでした。
コンビニに寄る気力も体力もない。せいぜい必要最低限のものをドラッグストアで買うくらいでした。夕食の支度は、100%母に任せきり。家に帰っても疲れ切っていて、家族に優しくできない。ずいぶん気を使わせていたと思います。
当時、娘は小学1年生でした。私が何時に帰るかわからないので、宿題は祖母が見てくれていました。
でも音読と丸付けだけは、私に取っておいてくれるのです。ママに聞いてほしい、ママに丸を付けてほしい。そう言って、教科書を抱えて待っている。あの姿は今でも思い出します。
一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、21時にはベッドへ。自分の自由時間がほしいと思う気力すら、残っていませんでした。
午後の業務量は、午前ほどではありません。精神的に削られていたのは、申し送りと振り返りノートのほうでした。
これから病棟に出る方へ、ひとつだけ。残業を申請できるかどうか、入職したら早めに聞いてください。教えてもらえるのを待っていると、私のように3ヶ月かかります。
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日勤の話はここまでです。この病棟には、もうひとつ別の顔がありました。夜勤です。
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